在宅と呪いの話

少し昔、大好きだったコンテンツは2次元の要素と3次元の要素を併せ持つ少し変わっているものでした。
アプリゲームとアニメ、それに声をあてる俳優さん(声優さんではないのがポイントだった)の3次元での活動がリンクする斬新で楽しいコンテンツだったと思う。
私は一応2次元寄りのおたくで、画面の向こうにいるキャラクターが大好きだった。薄く紫がかった白い髪と不思議ちゃんな言動、それでいて周りの空気には敏い子。かわいい◯◯くん。グッズも集めたしアプリに課金もした。イベントも走った。

当時私は仮面浪人生(結局挫折してしまった)で、3度目の大学1年生になるべく、前いた大学よりもっとレベルの高いところに入って前の大学の人たちを見返すべく、大学に通いながら受験勉強をしていました。というと、どうしても言い訳になってしまうのだけれども、3次元の現場にはほとんど行けなかった。行きたかった気持ちはすごくあったし、俳優さんも応援しているつもりでいた。でも行けないから、2次元から彼らを応援して、俳優さんにもリプライを送って気持ちをできる限り伝えて、そのコンテンツのおたくでいることを許されたかった。

そんなとき「お家からのエールなんて届かない」というツイートを目にした。3次元寄りのおたくの発言だった。
行けないけれど応援してますといった趣旨の言葉を演者に投げかけることはあまりに残酷なのでは、という話だった。
始まるまで埋まっているかどうかわからない座席に、少なくともその在宅が座る可能性が0であることをわざわざ演者に伝えてどうするんだ、モチベーションが下がるかもしれない、悲しむかもしれない、自分の行けない行かない罪悪感を拭うためだけに演者にそんなことしないでほしい、
リアルイベントの動員はそのままコンテンツの存亡に直結する、自分一人では席は一人分しか埋められない、茶の間で楽しむ余裕があるならどうか現場に足を運んでくれ、

そのとおりだと思った。なにもできない自分が悲しかった。自分がそのコンテンツを好きでいる資格はないと思った。

そしてしだいにそのコンテンツから離れてきてしまいました。

その好きだったコンテンツは、今年の秋に武道館でのライブを最後に終了します。

なにもできない、なにもしない、が重なると、物事ってこんなふうに終わってしまうんだなあと思った。悲しむ資格なんてなかったし、実際悲しい気持ちはそれほどなかった。虚しさだけがずっと心に居座ってる。


私は今、とあるアイドルさんのおたくをしていて、そのアイドルさんは一人ひとりのファンを本当に大切にしてくださる人たちで、だからこそ頻繁に現場に足を運ぶことができない自分は自分自身に呪いをかけてしまう。

お前がファンでいる意味はあるのか?お前はその人たちに何かできてるか?好きだと言える資格はあるか?行けない行けないと言いながら現場に行く努力を怠ってるだけなんじゃないの?

そう思ってしまうことすらもこわくて悲しくて申し訳なくて消えてしまいたくなる

こわい、アイドルさんたちに、アイドルさんたちが歌う曲に、勝手にものすごく救われていながら、なにもできないことがこわい ほら、結局自分本位なんだ、最悪な人間だな

と思っていたことを、抑えきれなくて少しツイートしてしまったら、大好きなおたくたちからたくさん言葉を頂いてしまって申し訳なくなった。でもだいぶ気持ちが楽になったように感じます。ゆっくりですが返信していきます。ありがとうございます。


いろいろ考えてしまうのだけれど、やっぱり私は二丁目の魁カミングアウトさんが大好きだ 好きでいていいかなあ 会いに行くのがこわいけれどやっぱり生で彼らの歌を聴きたいし彼らのステージがみたいの
アイドルさんからもおたくからも認知なんて全然切れててもいいや、どうかどうか、大好きなアイドルさんを、おなカマさんを好きでいることを許してください 今の私の心の支えなんだ どうか許して