2年前の私へ

ただの自分への手紙なので読んでもつまらない内容だと思います。書いてしまったので供養の気持ちでアップします。



2年前の8月31日、あなたの気持ちはどん底に真っ暗だったね。
仙台から大学の寮へ向かう道中が地獄のように暑かったこと、仏子駅からの急な上り坂でかいた気持ち悪い汗、寮母さんの冷ややかな視線とリノリウムの冷たい廊下、全部覚えてる。
春にあんなに憧れと期待を抱いていた大学生活は、やっぱり周りに馴染めなくて、同学年からはハブられて、先輩からは勘違いからどちゃくそバッシングを受けて、夏のはじめにはもうボロボロだったね。耐えきれなくて切ったら寮を追い出されそうになった。たまに記憶をぶっ飛ばしながらフラフラになりながら生きてたね。
精神的にも物理的にも居場所なんてどこにもなかった。周り全部が敵だと思った。
夏ははやく終わってほしかったけど夏休みが終わるのは絶望だった。怖かったよね、覚えてるよ。

寮のかろうじて許してくれた隔離部屋、実家から送っておいたダンボールは開ける気力もなくて。手帳の9月のページを開いてやっぱりもう無理だと思って泣いた。貯めていた処方薬を全部飲んだ。その日は通院日で、そのまま外出延長の届けを出した。あわよくば死ねれば、無理でも電車か車に轢かれればいいと思った。自暴自棄。そこからの記憶はあやふや。
泣きながら母に電話したみたいだった。開いたままの手帳には血痕が残ってた。どこをどうやって移動したかわからないけれど、念の為と思ったのか途中で市販の薬も買って飲んだみたいだ。ネットで見かけたあてにならない致死量よりも多く。
何故かどうにか辿り着けた病院、診療の前のカウンセリングで、水の中みたいに重い身体、まとまらない思考回路と回らない口で事情を説明しようとしたけどできてなかっただろうな。
そこで完全に意識を失って救急車で運ばれた。
2回目の胃洗浄も全く覚えてない。苦しいって聞くからラッキーだったのかな。それよりも意識が戻ったあとの尿カテがしんどかった。
大学にはもう戻れない。実家に連れ戻されても何もできない。なのに死ねなかった。真っ暗だった。無理やり卒業させてもらった高校も頑張っていた音楽もやっとの思いで入れた大学も全部水の泡だった。

もう人生終わりだと思った。


機会を窺って次こそは完遂しようと思っていたけれど、なんだかんだで生きてこれてしまいました。

でもね、今の私はとっても幸せなんです。
2017年の10月、ピンク髪の変態ベーシストのいるトンデモ高校生バンドに出会うよ。そのバンドとアプリゲームとの出会いがとっても大好きな友達との出会いに繋がるよ。楽しみにしていてね。
2018年の2月、すごいアイドルさんに出会います。やばいよ、人生変えられちゃうくらい。覚悟してて。



2年前の私へ、本意ではなかったけれど、どうにか生きていてくれてありがとう。あなたが耐え忍んでくれた人生のおかげで今やっと自分が幸せだなと思えます。
ちゃんと自分の意思で大学にも通えてるよ。しんどいこともあるけれど、辛いときもどうにか乗り切る強さがつきました。たくさんの出会いのおかげです。感謝しながら生きていこうね。